=資 料=
わが潮流から生み出された
差別主義・清算主義・分裂主義(解党主義)と徹底対決し
80年代社青同建設の新たな前進を!

1980年8月 日本社会主義青年同盟中央執行委員会

 わが社青同はかつてない歴史的試練に直面している。80年の初頭にわが同盟の内部から発生した「反内部糾弾闘争」を公然とかかげる差別主義・排外主義に転落してゆく傾向をもった部分は、わが同盟中央及び多くの地本の同志と部落民同志の統一の呼びかけとねばり強い思想闘争の展開にもかかわらず、今日において一つの路線的帰結をもつに至っている。それは内部糾弾闘争破壊を基軸とする差別主義・清算主義・分裂主義(解党主義)というべきものである。

 我々はこの冷厳な事実を直視せねばならない。そして、このような差別主義・清算主義・分裂主義が生み出されてきた根拠を解明しこれを全同盟が克服し、この地平からこのような政治傾向の根底的止揚をかちとることを自らの歴史的責務としてすえきらねばならない。この格闘を放棄することは社青同の死を意味する。ただただこの格闘を通してこそわが同盟の真の統一と発展がかちとれるのだということを肝に銘じなければならない。そして、わが同盟が直面している歴史的試練は、日帝国家権力の差別主義・排外主義攻撃の激化、ファシズムヘの突撃の激化の中で、これと根底的に対決し、プロレタリア革命(共産主義革命にむかう革命的階級形成・革命的政治組織建設の内実を根底から問うという性格のものであることを肝に銘じなければならない。まさに、戦争とファシズムヘの突撃の時代は、帝国主義ブルショアジーに反対するすべての政治潮流を一つの例外もなく差別主義・排外主義への屈服か否かという歴史のふるいにかけ、被差別大衆の自主解放闘争を不可欠の一翼とする革命的階級形成とそれによるプロレタリア革命(共産主義革命)の実現か、階級形成の「本工主義」的改作によるプロレタリアの狭い特殊利害へのおとしこめと空疎な「プロレタリア革命」の空想かを問うのである。

 また、我々はこのような局面を迎えているが故に、国際共産主義運動の歴史的教訓に学ぱねばならない。ロシアのボリシェビキをはじめあらゆる国の革命性を有した政治組織が激烈な党内思想闘争を通して、階級性・革命性を鍛えあげていったことをしっかりと見てとらねばならない。まさに、空疎な政治内容抜きの形式的統一性が問題なのではなく矛盾の思想闘争を通した止揚による真の統一性が問題なのである。このようなものとして政治組織は帝国主義ブルジョアジー、小ブル「社会主義」との激烈な闘いの只中において党内思想闘争を通して革命性・階級性を鍛えあげてゆくのである。我々はこのような視点をもってわが同盟の歴史的試練をくぐらなければならないのである。

 更に、今日迎えている歴史的試練は、解放派20年の歴史の清算と反動的改作か、解放派の出発点から今日に至る全過程の革命的継承・発展かを問うものとしてある。清算主義的傾向を根底的に止揚し解放派20年の歴史を継承するということは、単に歴史を形式的に継承するということなどではなく解放派20年の歴史の革命性・階級性をとことん引き継ぎ、同時に限界性を根底から克服し、日本革命―世界革命に勝利してゆく戦略・組織路線を確立してゆくというととである。今日こそはこのようなものとしての解放派20年の正念場であるのだ。

 以上のようなものとして、我々は同盟の歴史的試練に対して、自らの党派の歴史性と労働者被差別大衆への責任をもって、新たな飛躍をもってこたえてゆかねばならないのだ。これこそが、プロレタリア革命(共産主義革命)の大道を歩んでゆく唯一の道なのだ。


〔一〕 わが同盟の到達地平と現段階
(1) わが同盟の到達地平

 今日の清算主義者がいとも簡単に70年代階級闘争の地平を清算し、ここからの逃亡を決めこんでいるのに対して、我々は70年代社青同10年の歴史的苦闘は何であったのかをはっきりと示してやらねばならない。

 70年代社青同の到達地平は、同盟第14回大会・同盟綱領(草案)そして、79年段階における中央機関の決定にはっきりと示されている。社青同の同盟員であるかぎり何人たりともこの同盟の到達地平を語らずして社青同の未来を語ることなどできないのである。だからこそ我々は、この到達地平の上に立ってこの中にはらまれていた限界性を対象化し、社青同の前進・発展をたてるのである。

@ 社青同第14回大会の地平

 第14回大会はわが社青同の歴史的到達地平をはっきりと示すものである。それは要約するならば次の4点にしぼられる。

 〈第一に〉革マルを小ブル「社会主義」の転化せる反革命として対象化し、その解体戦略・戦術を鮮明にうちたてたことである。
 まさに77年2・11同志中原一暗殺に対する報復を誓い、2・11の敗北を正面から突破し、革マル組織そのものの解体にむけて労働戦線をはじめとした全領域における報復戦を展開することを確定したのである。いうまでもなくこの対革マル党派闘争の戦略的意義を鮮明化しえたのはこ小ブル「社会主義」との党派闘争のプロレタリア革命運動における位置及び意義の把握、帝国主義ブルジョアジーとの闘いと小ブル「社会主義」との闘いの統一的把握があったからである。

 〈第二に〉プロレタリア権力闘争の本質・構造を明らかにし、現下における権力闘争の発展へとむかう戦略的政治闘争の闘争構造を〈ゲリラ戦パルチザン戦―大衆的実力闘争―ストライキ(職場決起)〉として確定したのである。
 まさにこのことは、75年日韓―天皇闘争・76年天皇闘争の地平をうち固め、プロレタリア武装蜂起を展望した反革命戦争とファシズムの危機の時代、議会制ブルジョア独裁の崩壊的危機と「連立」・「中間政府」の惹起の時代における階級闘争の構造として確立され、プロレタリアートの権力展望を鮮明にしてゆくものとしてあったのである。

 〈第三に〉革命的労働運動の基調方針を同盟・行動委員会・労働組合及び、拠点・争議等の整理を行ない、JC・民間中小―未組織・官公労を貫き、明らかにしてきたのである。これらのことは、はっきりと政治組織としての労働運動の推進・指導という視点を確立したが故に明確に提起しえたのである。

 〈第四に〉自らの飛躍をかけて社青同を革命的青年同盟として建設してゆくことを確認したのである。まきにこのことこそは、社民・スターリニストから独立した地平に社青同をうち立て、無規定な「青年同盟論」を突破し、「永続革命=世界革命の完遂、共産主義の実現」を自らの究極目的にかかげ、「プロレタリア独裁の樹立」を当面の任務とする「革命を実現する青年同盟」としての革命的青年同盟規定であったのである。

 以上のようなものとして第14回大会においては、70年代前・中期階級闘争の地平を踏まえ、社青同の総路線をうち出したのである。職場反合闘争・反帝政治闘争の力を権力闘争・党派闘争の前進へと集中せしめながら、この下で真の革命的政治組織を建設してゆくことを宣言したのがまさに第14回大会であったのである。

 このようなものとして、我々は清算主義者とは区別されて、第14回大会の地平を核心的に押さえねばならないのだ。

A 綱領(草案)確立の意義

 第14回大会においてうちたてられた同盟綱領(草案)こそは同盟建設上、画期的意義を有するものである。

 綱領(草案)においては、究極目的を「永続革命・世界革命の完遂」として明らかにし、日本革命の性格を「帝国主義国家権力を打倒し…プロレタリアートの革命的独裁を樹立する」と明記し、革命の実現方法を「ソビエトの蜂起」として鮮明にしたのである。そして、その上に立って、日本革命の独白の任務を「日本革命は世界同時革命の有機的一環としてのみ現実的であり、とりわけ、沖縄と朝鮮アジアプロレタリアート人民との革命的結合は不可欠である」「日帝ブルジョアジーは…部落民、沖縄人民、在日朝鮮人、女性、『障害者』等への差別・抑圧・融和の階級支配政策を行なっている。…労働者階級の解放の事業は日帝ブルジョアジーのかかる階級支配に対決し、被差別大衆の闘いの革命的推進とともに革命的階級としての統一をなしとげていかない限り達成しえない」等として鮮明にしたのである。

 まさにわが同盟は、共産主義運動は「プロレタリアートの解放はプロレタリアート自身の事業である、という根本原則に貫かれることなくして決して勝利することはできない」ということを明らかにしつつ、「帝国主義工場制度と国家機構の自立肥大という…攻撃に対決」することを鮮明にし、日本革命の国際的性格、日本革命の独自の構造と任務を明らかにし、日本革命―世界革命の方向性を示してきたのである。日本の階級支配の独自の構造、日本革命の任務を明らかにしたが故に、同盟規約第16条において、「被差別青年協議会は、それぞれの闘いの情況につにいて中央委員会に報告―提起し、全同盟的普及をはかるとともに、それぞれの闘いの根底的運命に関わる問題に関しては青年協議会の同意なしに中央委員会で決定できない」という"同意条項"を確立してきたのである。いうまでもなく、綱領と規約は一つのものであり、政治組織の団結を普遍的に表現するものである。今日の規約16条の破壊者達は、何ら社青同綱領を踏まえていないばかりか、これに背を向けているといわざるを得ないのである。

B 79年、同盟中央部における内部糾弾闘争の組織的定立

 76年大田差別事件に関連しての内部糾弾闘争の確立、及び、77年第14回大会における規約16条の決定をうけている中で、78年、部落抹殺論にもとづく極悪な差別煽動、「目上委差別事件」が発生したのである。それのみならず、この対策過程において、差別主義的政治主義的対策指導が行われ、これらのことが「同盟全体の意志地平」として部落民同志に強制されるに至ったのである。このような中で部落民同志達は、革命的部落解放運動10年の蓄積の上に立ち、三百万部落大衆への自己批判の先頭に立ち、同時に、差別事件をひきおこすに至った路線的組織的根拠の解明とその克服をめぐり格闘し「内部糾弾闘争を一環とする対策指導の確立」を提起したのである。我々は部落民同志の糾弾を受けとめ、社青同の歴史的階級的自己批判の貫徹の視点をもって、79年同盟中央部において内部糾弾闘争を組織的に定立してきたのである。この上に立って我々は、この内部糾弾闘争の必然性と意義をしっかりと確認せねばならない。

 革命的政治組織は〈プロレタリアの解放、従って被差別大衆の解放=差別の廃絶〉を綱領的前提としている。このことの方向性はわが同盟においては綱領(草案)に明記されている。政治組織はこの地平から被差別党員を先頭に、被差別大衆の自主解放闘争を革命的に推進し、また、被差別大衆の自主解放闘争を不可欠の一翼とする革命的階級形成を推進し、〈プロレタリアの解放、従って、被差別大衆の解放=差別の廃絶〉を実現するという任務を貫徹するのである。だがしかし、この為には次の点が鮮明にされることが不可欠である。

 〈第一に〉この綱領的前提自身が被差別党員の団結による検証と政治組織の歴史的階級的自己批判をとおして、不断に全政治組織のものとなる為の組織的活動が展開されねばならないのである。

 〈第二に〉プロレタリアの解放、従って被差別大衆の解放=差別の廃絶にむかって、〈被差別大衆の自主解放闘争を不可欠な一翼とする革命的階級形成〉が現実になされねばならないということである。

 部落民が部落民全体の利害の上に立ち闘うことを通して革命的階級形成の一翼となり、また、ー般民プロレタリアが歴史的階級的自己批判を通して、革命的部落民の利害に立脚した革命的階級へと形成され、部落民・一般民プロレタリアを貫く普遍的共通利害(これこそプロレタリアの普遍的利害といえるものである)に立脚し、このような内容をもった豊かな普遍性を獲得してこそ、プロレタリアの解放、従って、被差別大衆の解放―差別の廃絶は実現されるのである。以上のことをふまえるならば内部糾弾闘争の必然性は明らかである。

 内部糾弾闘争の必然性は、〈第一に〉、わが解放派が60年代において、被差別大衆の利害を含まず党派の体系をたて、70年代においても自己批判、自己変革に決定的限界性(従って差別的な党派の体系)をもってきたというところにある。

 〈第二に〉、政治組織の形成―発展過程においても、資本制社会と国家の差別的諸関係と、それとともに差別意識の再生産の作用を受ける中で、差別と対決する党派を建設する為には被差別党員の団結による検証が不可欠であるということである。

 〈第三に〉、政治組織は〈プロレタリアの解放、被差別大衆の解放〉を綱領的前提にしてぃるとはいえ、このことの実質的獲得は不断の被差別党員の団結による検証と綱領的地平の獲得の為の組織的営為を不可欠としているということである。これらのことをしっかりとふまえておかねばならない。意識的にか無自覚にか格闘を避けるものは、結局、差別主義・排外主義攻撃に屈服し、差別を見抜き、差別と対決する党派の建設に背を向け差別主義に転落してゆくのである。


(2)わが同盟が直面している歴史的試練
@「反内部糾弾闘争」を旗印とする
 差別主義・清算主義・分裂主義(解党主義)のわが同盟内からの発生

 すでに述べてきた第14回大会綱領の確立、内部糾弾闘争の組織的定立をはじめとするわが同盟の前進は、一人の例外もない同盟総体の前進としては進みえなかった。我々はこのことについて痛苦な思いをもって自己批判するものである。被差別党員による糾弾を受けとめ、同盟総体として歴史的階級的自己批判の出発点に立ち、同盟の変革へとむかう過程において、わが同盟に根深く存在していた差別性を根拠とする一部の差別主義者は80年初頭から内部糾弾闘争の破壊に公然・陰然とのりだしてきたのである。

a. 80年2・24内部糾弾闘争の推進に関する部落民同志を含んだ協議の場において、同盟中央部の一部は「実力は誰でもこわい」「組織内実力は誰でもこわい」なることを論拠に実力糾弾否定を強弁し、部落民同志の実力糾弾に対して、それを受けとめないばかりか「殴りかえす」ことをもってこたえたのである。まさに小ブル暴力論を論拠に実力糾弾闘争と内部糾弾闘争の根本を否定する主張を行ない、それのみならず、部落民同志の糾弾に対して「実力で逆襲する」という差別主義・排外主義へと転落していく姿をまざまざと示したのである。

b. そして、これらにあらわれた危険な傾向は3・19春闘総決起集会において「一つの政治的流れ」として登場したのである。計画性・意図性をもって「再審貫徹」なる誤れる路線を強弁し、「自らの運命にかかわる」として立ちあがった部落民同志の提起を封殺し、それのみならず、部落民同志の抗議を行動隊をもって実力で封殺せんとするという差別主義的排外主義的腐敗がわが潮流の中から生み出されたのである。

c. このような中で、全国の同志達は3・19集会におけるかかる事態の差別主義・排外主義に転落してゆく危険性を見抜き、この事態に対する原則的態度をうち出し、自己批判・克服の為の努力を積み重ねていくが、にもかかわらず、5月中旬「内部糾弾闘争に対する批判点と我々の見解」なる文書が差別主義的腐敗を深める部分によって出され、これが全国の多くの同志達に配布されたのである。この文書の発行―配布は、内部糾弾闘争破壊を煽動すると共に、同盟の統一性を決定的に破壊するものとしてあった。この文書は、差別意識にもとづく恐怖を煽勤し、事実関係の歪曲・デッチ上げをもって、内部糾弾闘争を否定し、被差別党員排除の組織思想を展開するというものである。しかも、この差別主義・排外主義への転落を宣言した「反内部糾弾闘争文書」が明確に目的意識的に同盟の統一性を破壊する形で配布され、この文書を発行した部分のわが同盟組織に対する一つの態度があらわれたのである。

d. それのみならず、この文書の直接の発行責任者達は、わが同盟から逃亡した人物によって書かれた「解放派への党派闘争宣言」を内容とする文書を「自分達が責任をもつ」として非組織的な形で多くの同志に配布し、「反内部糾弾闘争文書」の発行に直接責任を有する部分とその同調者達は明確に、差別主義・解党主義(分裂主義)へと転落していったのである。これに呼応し、学生戦線においても解放派学生運動の破壊、内部糾弾闘争の破壊を目的として、「反内部糾弾」を一環とし「別の学生運動を形成する」としつつ、差別主義・清算主義・分裂主義を全面化した文書を出しつつのわが解放派からの脱走もあらわれたのである。このようなものとして、この時期、差別主義・分裂主義にもとづくわが同盟と解放派に対する破壊活動が一挙に激化したのである。

e. 更に、7月30日、全国反戦集会のボイコットを前提とし、全国反戦の分裂破壊を意図した「東京反戦集会」が強行された。そしてこの集会においては、プロレタリア権力闘争の飛躍をめぐる格闘の放棄、三里塚闘争、狭山闘争からの召還、対革マル党派闘争からの逃亡を軸に、70年代階級闘争の地平の清算―「60年代後半への反動的回帰」の傾向がはっきりとあらわれたのである。

 こうして、「反内部糾弾」を基軸とする差別主義・排外主義の傾向は、分裂をもって自己の意図を実現せんとしヽ70年代階級闘争の地平を清算することによって、別の誤れる総路線をうち出さんとする反動的流れとなって、今日、たちあらわれてきているのである。

A わが同盟が直面している歴史的試練の構造

 我々は、わが潮流の内部から差別主義・清算主義・分裂主義を生み出したことを冷厳な事実として直視せねばならない。そして、このことの克服がわが同盟の歴史的使命であることを一切の曖昧性を残さずはっきりさせねばならない。このことの克服抜きにわが同盟と解放派の未来は決してないのだ。差別主義・清算主義・分裂主義に一面的に反発するだけで、自らを何ものであるかのごとく思いこみ、結局、差別主義・清算主義・分裂主義と根拠を共有してゆくことは決して許されないのだ。また、被差別大衆の自主解放闘争に敵対し70年代階級闘争の地平を否定するという差別主義・清算主義を生み出し容認することは決して許されないのだ。だからこそ、わが同盟に課せられた歴史的試練として現局面があるのである。

 我々が、この歴史的試練に飛躍をもってこたえてゆく為には次のことが不可欠である。

 〈第一に〉内部糾弾闘争の定立の地平を堅持し、推進し、同盟の歴史的階級的自己批判をやや抜くことである。す々わち、2・24から7・30へ至る全過程を一大差別事件として糾弾し、かつ、これを生み出すに至った同盟の自己批判をやり抜くことである。いわば、これは組織内差別事件と内部糾弾闘争の貫徹という視点である。

 〈第二に〉差別主義・解党主義の組織的思想的根拠を徹底して解明し、その克服をなんとしてもなしきることである。いわば、このことは、差別主義・排外主義を生み出すに至ったわが同盟の自己批判の一環であり、同時に、差別主義・清算主義・分裂主義を生みだしてきたことの根底的総括とその克服、主体の強化という視点である。

 〈第三に〉差別主義・清算主義・解党主義との思想的組織的闘いと分裂主義に対する断乎たる組織的対決を通して、同盟の革命的統一を実現してゆくことである。このことは、差別主義・清算主義・分裂主義との党内思想闘争という視点である。

 以上の三点の視点をもって、差別主義・清算主義・分裂主義との思想的組織的闘いに勝利し、社青同の革命的前進をなんとしてもかちとらねばならないのだ。


〔二〕「反内部糾弾闘争」の路線的帰結

 わが同盟から発生した差別主義・清算主義・分裂主義は、分裂を自己目的化することによって自らの意図を貫徹せんとし、70年代階級闘争を清算することによって別の路線を提起するに至っている。それは「内部糾弾闘争に対する批判点と我々の見解」及び「7・30東京反戦集会基調」にはっきりあらわれている。それらを列記すれば次のようになる。

@内部糾弾闘争の否定、被差別党員排除の党思想
A革命的政冶組織の原則的任務としてのスパイ摘発の否定、事実上の非合法革命党建設の放棄
B・プロレタリア権力闘争の本質構造、ゲリラ戦パルチザン戦―大衆的実力闘争―ストライキの放棄
 ・労農水「障」学共闘の清算と三里塚闘争からの召還
 ・狭山闘争の差別主義的清算主義的総括と狭山闘争からの逃亡
 ・労働者の、国家権力の政治的抑圧に対する直接的エネルギーの否定、「社会運動が政治運動を規定する」という社会運動主義への転落
 ・革命の実現方法としての"蜂起"のあいまい化
C2・11報復戦、12・10、7・3報復戦の徹底した軽視、対革マル党派闘争の後景化
D排外主義に屈服する「本工主義」労働者運動への転落
E「情勢の安定化」基調

 以上の点を特徴としているが、ここでは、彼らの @党―組織論、A戦略論、B解放派の原則の歪曲の構造についてみてみよう。


(1) 被差別党員を排撃し、スパイを容認する党思想

 「内部糾弾闘争に対する批判点と我々の見解」の中で次のようなことが言われている。

 「部落民の革命的階級への結集は…プロレタリアート部落民として自らを組織化し〈プロレタリア革命、プロレタリア独裁、プロレタリアートの共同した占有による生産手段の私的所有―分業の廃絶〉を階級党の結集の紐帯として承認し結集するのである」

 この中に彼らの党思想の本質がはっきりとあらわれている。部落民の党への結集は部落民としてではなく、「プロレタリア部落民」として結集せよといっているのである。部落民(プロレタリア)が一般民プロレタリアの部落民に対する差別の歴史の中で、歴史的な国家の差別支配を部落大衆全体の利害の上に立って打ち倒すべく闘い抜くことを通して革命的階級形成の不可欠な一翼となり、この地平において、革命的部落民が〈プロレタリアの解放、従って、被差別大衆の解放を実現する党〉に結集するという構造を全く否定し、「部落民はプロレタリアー般として党へ結集しろ」といっているのである。まさに、これこそ「部落民排除の党思想」なのである。ここでいわれている「革命的階級党」なるものは被差別大衆の党への結集をテーマにしている項目にもかかわらず、「プロ独、分業の廃絶」一般を語るのみであり、この中に、被差別大衆の解放を解消するという内容のものなのである。まさしく、この「革命的階級党」なるものは〈プロレタリアの解放、従って、被差別大衆の解放=差別の廃絶〉を綱領的前提にさえしていない代物なのである。この「革命的階級党」なるものは、綱領的に被差別大衆の解放の方向を全く明らかにせず、空疎な「プロレタリア革命」一般を語り、被差別大衆の党への結集をそれとして承認しない「被差別党員(大衆)排除の党」なのである。いうまでもなく、このような党は帝国主義ブルジョアジーの差別主義・排外主義に屈服し、ファシズムに屈服してゆく党でしかないのだ。

 また、このような「被差別党員排除の党思想」を一方で展開し、他方では「内部糾弾闘争を通した組織内スパイ摘発反対!」なることがいわれている。まさに、内部糾弾闘争の過程においてスパイを摘発してはならないといっているのである。革命的政治組織にとってスパイの摘発は絶対的な原則的任務である。

 それではスパイはいかなる過程において析出されてくるのであろうか。いうまでもなく、スパイはいくら高度に鍛えあげられていたとしても本質的にプロレタリア革命派とは明確に異なる社会性・政治性を有している以上、革命的政治組織の全組織活動のあらゆる分野において析出される可能性を有しているのである。従って当然にも、内部糾弾闘争の過程においてもスパイは析出される可能性を有しているのである。「内部糾弾闘争を通したスパイ摘発反対」なる主張は全くこのことを否定してしまっているのである。従って「内部糾弾闘争を通したスパイ摘発反対」なる主張は「スパイは摘発しなくてよい」といっているに等しいのであり、結局、スパイを容認してゆくのに他ならないのである。このような主張は非合法党の建設への背反であるばかりか革命党のイロハ的原則からの逸脱であるのだ。

 差別が同志的前提を破壊するにもかかわらず、「糾弾が同志的前提を破壊する」と強弁し、差別的諸関係におかれていた一般民プロレタリアの歴史的階級的自己批判が問われているにもかかわらず、「部落民も一般民も相互に限界を有していた」と居直り、内部糾弾闘争を破壊せんとしてきた彼らは今日において、「被差別党員を排除し、スパイを容認する」という腐敗した党思想へと転落しているのである。

 今日の差別主義・清算主義・分裂主義者達は、同志である被差別党員を排除し、「味方の仮面をつけた敵」であるスパイを容認する党派を建設するという道が、国際共産主義運動の歴史に照らして正しいのか否かをよくよく考えてみるべきである。


(2) 「国家論」のデタラメな改作と戦略論上の大後退

 「7・30東京反戦集会基調」において、70年代階級闘争の地平の清算と、この間わが解放派が切り拓いてきた戦略基調からの脱走が行なわれている。戦略論と国家論は一つのものである以上彼らのこの点に関する基調をみてみる必要がある(もっとも批判が困難なほど論理的整合性を欠いているが、彼らの意図はそれなりにはっきりとでているので)

@ 「7・30基調」においては、「『幻想的共同体』としてのブルジョア国家」、「ブルジョア政治支配は国家を媒介として、公的普遍的内容をイデオロギー的に実態的に付与され貫徹されているのである。…従って階級支配は単に暴力装置をもってなされているのではない」といわれている。

 ブルジョア国家の支配構造を解明し、これを粉砕してプロレタリア革命を実現する以上、ブルジョア国家の本質ははっきりさせねばならない。我々解放派は70年代階級闘争において、ブルジョア国家の本質を「暴力的支配を本質とする幻想的共同体」「暴力装置をもった幻想的共同体」といってきたのである。階級社会においては所有せる者が所有せざる者を暴力的に排除し、それを奴隷として奴隷労働に再編してゆくことを根本としており、従って、国家はこの支配―被支配の関係を支配的な生産関係から成立するイデオロギーの下に共同体的に組織化したものとしてあるのである。いわば、国家が支配力を発揮しうるのは、支配的な生産関係を基礎とし、それを普遍化するイデオロギーに媒介されて、支配者階級の被支配者階級に対する暴力的支配が共同体的に実現されるからなのである。このようなものとして、ブルジョア国家は、市民社会と国家の分離の上に立つ「暴力的支配を本質とする幻想的共同体」「暴力装置をもった幻想的共同体」としてあるのである。そしてこの、ブルジョア国家による支配はイデオロギー的にのみならず、暴力的・組織的になされているのである。また、ブルジョア国家の本質がファシズムにおいて「むき出しの暴力支配」としてあらわれることをしっかりとみておかねばならないのである。

 以上の意味において、「7・30基調」は、国家が階級支配の暴力的本質を共同体的に現実化することを見抜けず「イデオロギー的国家論」に傾斜していると言わざるをえないのである。

A また、「7・30基調」は、自らの「部落差別に関する職業起源説」の亜流である「差別の分業起源説」に差別的に執着し、「幻想的共同体からの排撃と差別」という正しい視点からのがれたい為に「『幻想的共同体』はまさに現実の生産諸関係の実態としての『幻想的共同体』である」、「政治権力、不断に社会的権力をその内部に包摂しつつ、様々な社会的差別を生産様式=分業の中に組み込み固定化した『幻想的共同体』であり」などと上部構造、下部構造の混同におちいっているのである。階級社会の中においては〈自然に対する共同体的経済活動〉は所有せる階級の支配下における被支配者階級の活動となり、〈類的に定立された共同体〉は被支配者階級への暴力的支配を本質とするものとして、支配者階級を主なにない手とし、分化してゆくのである。すなわち、下部構造とは物質的生産力と生産関係をさし、上部構造とはこの内容を共同体的に普遍化したものなのである。このことをふまえてこそ、国家の本質をつかむことができるのである。

 「7・30基調」の執筆者は、自らが「分業起源説」に差別的に執着したいが為にいかに社会科学に背信しているのか、上部構造と下部構造をめぐる把握にいかに論理的整合性を欠いているのかとくと考えてみるべきである。

B また、「7・30基調」においては、「支配者階級の思想・差別思想が国民の思想として強制され貫徹されているのである」ということが言われている。

 いうまでもなく、これは国家の支配構造として暴力的・イデオロギー的支配があるということ、ないしは、支配者階級の"イデオロギー攻撃"についていっているのではなく、前後関係からみて国家の本質に関して言っているのである。支配者階級の思想が単に国民に強制されるということではないのである。支配者階級のイデオロギーはその段階における支配的な社会関係を普遍的に意識化したものに他ならない。そして、国家が支配力を発揮しうるのは、支配的な生産関係を普遍化するイデオロギーに媒介されて、被支配階級への暴力的支配が共同体的に実現されるからなのである。この国家がイデオロギー的・暴力的・組織的支配を行なうのである。問題はこう整理されねばならないのだ。

 さらに、支配階級の差別思想が国民の思想として貫徹されているなどということは、「支配階級が差別思想をもっているから、国民も差別思想をもっている」といっているに等しいのである。社会的諸関係の差別性(差別的諸関係)が差別意識を再生産し、差別思想を生み出すにもかかわらず、このような主張を展開することは差別主義者の居直りに他ならないのである。

C 以上のような「暴力的支配を本質とする幻想的共同体」というつかみ方からの後退は、当然にも戦略論上の大後退をもたらしている。「同時に政治運動は、単に政治権力との対抗というものではなく、この『幻想的共同体』を解体してゆく政治過程(階級形成)を推進するものとして、その帰結としての帝軍の解体、国家権力の掌握に至る目的意識として革命戦略・戦術をもって展開されるのである」
「総じて、わが労働者政治闘争の現状は〈ゼネストー蜂起〉の能力をその胎内に内実と共に獲得するという…」、
「…75年天皇闘争の地平をうけつぎ突破し、〈街頭闘争と結合した拠点スト→マッセンストーゼネスト〉=革命的大衆行動」
 要するにこうだ。革命戦略上国家権力の解体、反革命政治軍事中枢―反革命野戦軍のセン滅があいまいにされ、従って、革命の実現方法として"武装蜂起"があいまいにされ、「『幻想的共同体』を解体してゆく政治過程を推進する」「街頭闘争と結合したゼネスト=革命的大衆行動」の単純な延長上に「国家権力の掌握」をたてているのである。ここには国家権力の階級支配の基礎をおびやかし国家政治支配をゆさぶる中において、いかにしてプロレタリア武装蜂起を準備するのかという格闘が全くないのである。プロレタリア革命が勝利してゆく為には、街頭実力闘争・ストライキをはじめとした闘いをもってブルジョア国家の経済的基礎をゆるがしつつ、国家の共同体的収約力を解体状況においこみ、このことを通して、反革命政治軍事中枢、反革命野戦軍のセン滅として蜂起が行なわれなければならないのである。革命期においては、「階級闘争の全面的に発達したもの」としての蜂起を展望して、ブルジョア国家の経済的基礎をおびやかし、国家の共同体的収約力を動揺せしめていくことが重要なのである。その闘争構造は〈ゲリラ戦パルチザン戦―大衆的実力闘争―ストライキ〉であり、とりわけ、ゲリラ戦パルチザン戦は革命期における権力闘争の飛躍をめぐる闘争において、国家権力に打撃を与え、政治支配を動揺させ、攻撃目標を鮮明化させてゆく位置をもつものである。このことを全く欠落させているが故に、75年天皇闘争の地平をうけつぎ突破すると称するものが「街頭闘争と結合したゼネストー革命的大衆行動」などとなってしまうのだ。

 また、ここでいわれている「ゼネスト=蜂起」は「基調」の全体からみて「プロレタリア武装蜂起に至る過程でゼネストは重要な位置をもつ」ということを示しているものとさえ考えられない(もっとも、それなら記述のしかたは違うものとなるが)。いうまでもなくゼネストは労働者人民の街頭実力闘争と共に、国家の経済的基礎をおびやかし、国家の共同体収約力を解体状況においこんでゆく決定的位置を有している。そして、この段階を通して蜂起が貫徹されてゆくのである。だがしかし、「暴力的支配を本質とする幻想的共同体」としての国家の本質をあいまいにし、反革命政治軍事中枢、野戦軍のセン滅をあいまいにし使われている「ゼネストー蜂起論」は70年代解放派の地平からするならば、ゼネスト革命論への屈服の構造を有しているといわねばならない。


(3) 解放派の原則の改作

 60年代初頭において、「プロレタリアの解放はプロレタリア自身の事業である」というマルクス主義の基底的原則を復権し、日本階級闘争に登場したわが解放派は60年代において、階級形成論、世界同時革命戦略、合理化論、ファシズム論等を明らかにし、65年日韓闘争・ベトナム反戦闘争、70年安保決戦をプロレタリア人民の先頭で闘い抜き、プロレタリア革命派として成長してきた。

 いうまでもなく、この中では、歴史的制約ですまされないプロレタリア革命運動の原理における限界性を有していた。それはプロレタリアの存在の本質論と存在形態論の混同の傾向、階級支配の歴史的構造の解明に不十分性を残した革命戦略論、共産主義運動の二元的理解の傾向等としてあった。だがしかし、これらの60年代の解放派の限界は、70年代階級闘争の中で一歩一歩実践的に克服されてきつつあるのである。60年代階級闘争の地平の上に立つ70年代解放派の歴史的地平は我々の核心でなければならない。この意味において、77年の社青同綱領(草案)は我々の核心中の核心である。また、以下のことは、解放派20年の成果としてはっきり押さえておかねばならない。

@帝国主義ブルジョアジーとの闘いと小ブル「社会主義」との闘いの統一的把握と
 小ブル「社会主義」の転化せる反革命―革マルとの闘いの階級形成上、党建設上における意義の鮮明化
A反革命戦争とファシズムの統一的把握と、これとプロレタリア革命の決戦の連動性の鮮明化
Bプロレタリア権力闘争の本質と闘争構造の鮮明化
Cプロレタリアの歴史的階級的自己批判と〈被差別大衆の自主解放闘争を不可欠な一翼とする革命的階級形成〉の明確化
D「本工主義」を克服する〈現役―予備役を貫ぬく階級形成〉及び、労働運動と被差別大衆の自主解放闘争の連帯の明確化
E党―統一戦線―共同戦線、および軍事組織建設の鮮明化

 これら70年代解放派の地平を清算することは解放派の死を意味するにもかかわらず、今日の清算主義者はこれらを必死になって清算し、「何者」かであらんとしているのである。

 今日の70年代階級闘争を清算せんとする傾向の底流には明確に解放派の原則の歪曲があるといわねばならない。

 それは、プロレタリアの存在の本質論と存在形態論の混同、プロレタリアの存在の"現役主義的理解"、"観念的普遍論"と"現実的総体性論"による共産主義運動の二元的理解とプロレタリアの存在の革命性の右翼的理解等としてある。かくして、彼らにおいては、解放派の原則中の原則である「プロレタリアの解放はプロレタリア自身の事業である」は永続革命=世界革命の現段階、日本階級闘争の現実の中に現実化し発展してゆくことなく"現役プロレタリア主義"的に、右翼的に歪曲されているのである。彼らの解放派の原則の歪曲は、いわば、「本工労働者の解放は、本工労働者自身の事業であり、他は非革命主体として排撃する」とでも表現するしかないようなものとなっているのである。


〔三〕差別主義・解党主義が生み出されてきた根拠について
(1) 差別主義発生の根拠

 いうまでもなく、差別主義が発生してくる直接の根拠は、被差別党員の糾弾をうけとめ、歴史的階級的自己批判をめぐる格闘を放棄してきたというところにある。だがしかし、この思想的底流には、現役プロレタリアに対する物神崇拝ともいうべき傾向と、被差別大衆に対する非革命主体として排撃してゆく思想があることを見抜かなければならない。以下、差別主義の発生の思想的底流をみてみる。

 プロレタリアの存在論をめぐって

 我々解放派は、その出発点において、あらゆる小ブル「社会主義者」が『プロレタリアは本質として革命的存在である』ことを根本において承認していないことと区別されて、「プロレタリアの解放はプロレタリア白身の事業である」ことを原則として掲げてきた。そして、この革命的存在としてのプロレタリアが敵との闘いを通して自らの本質としての革命性を現実化し、階級へ形成されることを明らかにしてきたのである。だがしかし、このことは「現実のプロレタリア」(存在形能)の解明の欠落、幻想的共同体、国家と階級形成という視点の欠落というこのこと自身の内的限界性に規定され、帝国主義工場制度内の「本工」プロレタリアを中心に現実には展開されてゆくことになるのである。そしてまた、この「帝国主義工場制度におけるプロレタリアの闘い」によって生まれる党派における諸関係が、逆に階級形成論の狭い理解へと作用してゆくのである。いわば、これらのことによって、こういう傾向が生み出される。プロレタリアの存在の本質、階級形成の本質構造をたて、共同体との関係におけるそれらの解明がなされていないという内的問題に規定され、プロレタリアの存在形態論、階級形成の現実的過程の整理によって、日本革命戦略論が形成されるにもかかわらず、それに対置する形で本質論があてはめられ、「現役のプロレタリア」は、何の形態論的、階級形成の現実的過程的な規定性を与えられず、結局、本質のみが語られることによって、プロレタリアの存在形態、及び階級形成の現段階的規定が述べられるべき項目においても「革命的とは、プロレタリア的のことであり、プロレタリア的とは革命的のことである」ということがいわれ、「プロレタリアの物神としての崇拝」的傾向があらわれてくるのである。更に、階級支配の構造の解明、プロレタリアの存在形態の解明、階級形成の現実の過程における立体的構造の解明抜きに、プロレタリアの存在の本質、階級形成の本質的構造が単純にあてはめられることによって、現実的規定を欠いた『プロレタリア』が革命の主体として語られ、被差別大衆は非革命主体として排撃される構造をもつのである。

 資本主義理解をめぐる原理論を日本帝国主義の現段階の中に、その原則を貫ぬくというのではなく、この視点を全く無視して機械的に原理論をあてはめるようなことがあれば、結局、歴史的に独自の過程を通して形成されてきた日本資本主義の転覆には決して至らないのである。プロレタリアの存在の本質を語ることのみによって、プロレタリアの存在の形態、階級形成の現実的現段階的規定に対置させることは、プロレタリアとブルジョアジー(及び小ブルジョア)しかいない世界で、プロレタリア革命論をたて、それを機械的に日本の現実にあてはめることに等しいのであり、従って、「本質」論的にたてられたプロレタリアが日本の現実の中でも機械的に、かつ無規定なまま革命主体とされ、被差別大衆は非革命主体として排撃されるのである。そして更に、この現実的規定性を欠いたプロレタリアは、現実の展開に知いては、唯一、帝国主義工場制度におけるプロレタリアとなり、"現役プロレタリアに対する物神崇拝"ともいうべき構造をもっていくのである。また、帝国主義工場制度が矛盾の根源であり、ここにおいて矛盾の拡大再生産が行なわれているという正しい把握、また、プロレタリアの社会的隷属ということについて、プロレタリアに対する政治的抑圧との関係で、あいまいにしかつかんでおらず、従って、この帝国主義工場制度におけるプロレタリアが獲得すべき普遍性があいまいにされ、狭い利害にもとづく"普遍性"から他をみるという中にこそ、被差別大衆に対する排他性が生まれるのである。

 今日においては、60年代に我々がかかえていた限界性が、最も反動的にあらわれ、「現役プロレタリアヘの物神崇拝と非革命主体としての被差別大衆の排除」が行なわれているのである。また、この裏返しとして、プロレタリアの存在の革命性に関する右翼的理解があるのである。「解放No7」以降の共産主義運動の二元的理解、"観念的普遍論と現実的総体性論"によって、共産主義者は観念的普遍として神秘化され、プロレタリアの労働者党への結集は、共産主義的でないもの(共産主義の実現に至る過程を洞察しないもの)へとおとしこめられているのである。いわぱ、このことの中には、プロレタリアが普遍性を獲得すること(その中で共産主義理論を獲得する)への不信がこめられ、繰り返し、プロレタリアが普遍性を獲得することに対しては"制動"としてしかあらわれようがないのである。これらは、「プロレタリアヘの物神崇拝」とメタルの裏表をなしているとにいう構造をもっているのである。


〔四〕差別主義・清算主義・分裂主義と対決し、社青同の革命的統一へ

 すでに我々は、差別主義・清算主義・分裂主義の発生の経過とその路線的帰結をみ、その根拠の解明の方向性をみてきた。それをふまえ、我々はこの歴史的試練を飛躍をもってくぐりぬける為に、次のことをなさねばならない。

 〈第一に〉我々もまた、差別主義・清算主義・解党主義を生み出す根拠を歴史的に同盟として共有してきた以上この根拠を徹底して解明し、克服し、止揚をたてるということである。

 〈第二に〉この地平から、差別主義・清算主義・分裂主義と思想的組織的に闘い抜き、根底的止揚をたてるということである。

 ここでは第二の問題の構造について明らかにする。


(1)差別主義・清算主義・分裂主義との対決の構造

 "同一の政治性"を有してきたわが同盟の中から差別主義・清算主義・分裂主義が発生した。その根拠をいかに解明し、どう克服していくのか。我々は、現在、この点における組織的格闘を全力あげて推進せんとしている。しかし、この組織的格闘に反動的に敵対し差別主義・清算主義・分裂主義の純化へとますます入らんとする部分が明らかに存在する。従って、「70年代社青同の地平を防衛する」というだけでは、差別主義・清算主義・分裂主義を生み出してきた根拠を容認した地平の固定化へおちいり、結局、解党主義・分裂主義の活躍の場を与えてゆくことになるのである。まさに、同盟内から差別主義・解党主義が生み出された根拠を解明し、これを克服し、この地平から差別主義・解党主義の解体・止揚をたてることが必然となっているのであり、この点をめぐる思想的組織的闘いを断乎として実現していかねばならないのである。この中においては、差別主義・解党主義の対極にそれを止揚しうる内実をいかにたてるのかということが問われるのである。まさしく、差別主義・解党主義を止揚する為のあらゆる分野における格闘がなされねばならず、そしてそれが、プロレタリアの解放、被差別大衆の解放=差別の廃絶―共産主義革命の大道へ進むものなのか否かが不断に検証されねばならないのである。


(2)差別主義・清算主義・解党主義との思想的闘い

 (a)差別主義との闘い
@内部糾弾の定立の地平の堅持とその推進
A差別主義の根拠たるプロレタリアの存在論における本質論と存在形態論との混同と、
 それにもとづく"現役プロレタリア物神崇拝と被差別大衆の非革命主体としての排撃"に対する徹底した批判
B日本資本主義の形成、日本における階級支配の構造とそれをふまえた日本革命戦略と、
 そこにおける被差別大衆の自主解放闘争の位置に関する差別的誤謬に対する批判
C「本工主義」を克服し、被差別大衆と連帯する内的構造をもった労働運動の形成をめぐる思想闘争

 (b)清算主義との闘い
@77年社青同綱領(草案)の防衛―発展か、放棄かをめぐる死活をかけた思想闘争
A革マルの階級闘争総体に対する敵対性格と党派闘争論をめぐる思想闘争
B革命の実現方法とそれに至る階級闘争の構造をめぐる思想闘争
C非マルクス主義的方法としての清算主義そのものに対する批判

 (c)解党主義との闘い
@〈被差別大衆の自主解放闘争を不可欠な一翼とする革命的階級形成〉という普遍性を
 特殊に体現する党なのか、被差別党員排除の党なのか
Bスパイ摘発を原則とする非合法党か、スパイを容認する「党」なのか
B労働者党の右翼的理解の根拠をなす前衛―党―大衆論批判
C解党主義の根底的底流をなす「行動委員会の中からの党」批判

 (d)差別主義・清算主義・解党主義を帰結させた「総路線」批判

 以上のことを中心に、70年代階級闘争の地平をふまえ、徹底した思想闘争が展開されねばならない。


(3)差別主義・清算主義・分裂主義が生み出される現実的根拠を解体・止揚する闘い

 差別主義・清算主義・解党主義を解体、止揚する為には、それが生み出される現実的根拠を解体し、70年代階級闘争の地平を堅持した差別と対決する運動へとつくりかえてゆくことが不可欠である。

 それをめぐるポイントは次の点にある。

@全同盟、全潮流の歴史的階級的自己批判を通した被差別大衆の自主解放闘争への関わりの拡大
A歴史的階級的自己批判をめぐる不断の格闘をもった労働運動と被差別大衆の自主解放闘争との連帯
D三里塚闘争が切り拓いた労農水「障」学共闘の全国的拡大、定着化
C清算主義を現実に粉砕してゆく三里塚、狭山闘争の大衆的拡大
D清算主義の破産を鮮明にした全潮流あげての7・3、12・10の報復の闘いの組織化

(4)分裂主義に対する組織的対決を!

 分裂の自己目的化、及び、分裂を通した政治的意図の貫徹ということとの対決は、解党主義との思想闘争とは明確に区別されて、分裂にもとづく組織破壊との組織的対決を基軸とせねばならない。ましてや、党外から解放派の破壊を策動することに対しては断乎としてその粉砕の闘いを貫徹せねばならない。

 以上のようなものとして、差別主義・清算主義・分裂主義との闘いは、思想的根拠を思想闘争を通して止揚する闘い、現実的根拠を運動、闘争によって解体する闘い、そして、分裂の自己目的化に対する組織的対決をもってなされる。このことをふまえ、解放派の革命性をとことん継承し、プロレタリア革命の大道をつき進んでいかねばならない。

 = 関 連 資 料 =
 1980年12月革労協声明
 1981年6月革労協・社青同声明(「党内」闘争宣言)